薬害エイズは官僚組織で起きた
【第22回】
小野俊介さん(東大大学院薬学系研究科准教授、薬学博士)
なぜ、薬害が起きるのだろうか。薬害の再発を防止するにはどうしたらいいのか―。薬害肝炎事件の反省を踏まえ、厚生労働省は医薬品の安全対策に当たる職員を大幅に増員する方針を決めている。しかし、増員された職員が働く新しい組織の在り方について、厚労省の検討会では意見が割れている。厚労省は2つの案を示しており、「医薬食品庁」(仮称)のような公務員型の組織に安全対策などの薬事業務を一括する案と、独立行政法人・医薬品医療機器総合機構 (PMDA、総合機構)に一括する案を示している。厚労省は、公務員型の組織を創設したい意向だが、小野俊介さんは「薬害エイズ事件は官僚組織の中で起きた」と強く反対している。小野さんは、1989年に東大薬学部を卒業後、同年に旧厚生省に入省。その後、総合機構で審査官を務め、現在は東大で「医薬品評価学講座」を担当している。厚労省が示している「公務員型の組織」と「非公務員型の組織」の実情に詳しい小野さんに、薬害の発生原因や望ましい組織の在り方などを聞いた。(新井裕充)
―なぜ、薬害が起きるのでしょうか。
いろいろな原因が考えられます。例えば、皮膚の病気を治す「ソリブジン」という薬と抗がん剤との飲み合わせで起きた副作用で患者が死亡した事件では、基礎実験のデータを医薬品の審査官も製薬企業も軽視していました。市販前の臨床試験では、抗がん剤を飲んでいる人にはほとんど投与しないので、実際は死亡例があったのに気が付かなかったのですが、市販後に副作用がたくさん出ました。基礎実験の時点で気が付かないことは無数にありますが、神様の目から見れば「基礎実験で分かったはずだ」ということになります。
―薬害は、その薬が誕生した時から運命付けられているのでしょうか。
薬は、飲む人が決まってから良いことも悪いことも起きますので、必ずしもそのように言い切れません。一粒の錠剤がそこらに散らばっているだけでは、健康被害は起きないのです。例えば、「米国人が飲んだら安全だが、日本人が飲んだら健康被害が生じる」というように、副作用は薬が人間の体の中に入って初めて起こります。
―とすると、重い副作用が発生する薬でも、永遠に顕在化しない場合がありますね。
世の中の薬はほとんどそのようなものばかりです。臨床試験で得られるデータは少ないので、服用する人が増える市販後の安全対策が重要になります。市販後に得られる副作用情報に基づいて、服用する際の注意事項を「添付文書」(薬の説明書)に記載することで、軌道修正します。市販後に情報が集積する中で、薬という物と患者との関係が進化していくのです。
■販売中止の判断に明確な基準はない
―では、「この薬は危険だ」と判断して、市場から"退場"させられるのはどのような場合でしょうか。
ほとんどの薬に何らかの副作用がありますので、この判断が難しいところです。副作用が発生した件数が多ければすぐに退場になるというわけではありません。生命の危険にかかわる副作用の場合には、件数が少なくても退場になる場合がありますし、予測された副作用かどうかによっても違います。副作用が発生した件数や疾患など、判断する上で考慮する組み合わせがいろいろあります。
―「頭痛薬を飲んで下痢になったら許せない」というような判断ですね。
それ、許せないですか? 「それぐらいなら...」という判断をする頭痛持ちの人もいるかもしれません。まさに、そういう判断の違いがいろいろあるということです。例えば、「ある抗がん剤を飲むと重い副作用が出るが、寿命が半年延びる」という場合、その投与を希望する人もいるかもしれません。また、まれに死亡する場合もあれば、治る可能性もある薬の場合、命を延ばす可能性に賭ける人もいるでしょう。逆に、寿命が半年縮まってしまうが、激しい痛みがなくなって夜も眠れるようになる場合はどうでしょうか。服用するかどうかの判断は、それぞれの患者さんの価値観などによって分かれるところです。
―処方する医師と患者との関係では「説明と同意」で解決できますが、「薬の販売をやめる」という場合はどうでしょう。
自然科学と社会科学との接点の問題で、もっと議論しなければいけない領域です。「この薬は駄目だ」ということを、審査を担当する個人の思い込みで決めるのか、あるグループの意思決定で決めるのか、そこに何らかの基準があるかなど、もっと議論を深める必要があります。ある薬を承認することによって発生する危険性と、得られる利益とのバランスを測る「リスクベネフィット分析」という学問領域がありますが、現段階では実用的かどうか疑問があります。経済指標や株価などの情報から得られたモデルを実際の経営にそのまま当てはめてもうまくいかないように、「こうすれば必ず正しい結果が得られる」という明確な方法がないのです。
―薬害は一定の確率で発生し、完全に防ぐことは難しいのでしょうか。
確かに、リスクとベネフィットのバランスを失している判断も中にはあるでしょう。しかし、判断をする時点では分からないこともあります。後から振り返って、「あの判断は間違いだった」ということも多いのです。これを一気に解決することは、現在の科学レベルでは難しい。「現在の科学を進化させればいい」「人間がもっと利口になればいい」という提案は可能ですが、答えを見つけるのは容易ではありません。ただし、そのようなダイナミックな議論は決して無駄ではありませんので、時間軸を10年後、20年後に置いて議論すべき課題です。
■"理想郷"はない
―科学の進歩に伴う「不確実性」を解決する方法と、薬害の再発防止に役立つ組織の在り方とは別次元の問題と考えるわけですね。
そうです。医学や薬学が進歩する限り、不可避的に発生する逃れようのないリスクの世界がありますので、これらを全部一度に解決しようとするのは無理です。厚労省の検討会では、薬害の再発防止に向けた新しい組織の在り方として、「公務員型の組織」と「非公務員型の組織」の2つが提案されており、わたしは「非公務員型の組織」に賛成しています。しかし、「100対0」のような「ノックアウト勝ち」ではなく、「100対80」ぐらいの「判定勝ち」という判断です。
―「公務員型の組織」には、どのような問題がありますか。
例えば「この薬は危ないので販売中止にしよう」という判断を行う場合に、「危ない」ということが確実に分かるまで待つという体質、一歩先に動かない保守性があります。大胆な決定をすると、製薬企業や患者など周囲に波紋が広がるため先送りにするのです。これは日本の公務員の意思決定の特徴です。
ただし、「公務員」という言葉でくくってはいけません。終身雇用で、ずっと組織に従属するのが「日本の公務員」で、同じ公務員でもFDA(米食品医薬品局)の職員のような米国の公務員とは全然違います。「この薬は危険だ」と声を上げて首になるよりも、組織を防衛しようという判断が強く働く可能性があります。薬害エイズ事件は、そのような官僚組織の中で起きたと言われています。判断が難しい場合、「患者の健康を守るにはどちらがよいか」と考えずに、「国という組織を守る」という方向で対応を遅らせたり、判断を誤ったりすることが起こりやすいのです。
―しかし、安全対策などの薬事業務を「非公務員型の組織」に一括する案に賛成する委員は、検討会では少数ですね。
薬害の被害者の方々が、「国に責任を持ってやってもらいたい」と言う気持ちも分かります。わたしも、現在の総合機構(非公務員型)が全面的によいとは思っていません。総合機構は総合機構なりに役所くさいところがありますし、総合機構に薬事行政を一括した場合の行政法上の問題点もあります。しかし、官僚組織よりはよいという判断です。もし、どこにも欠陥のない理想的な組織がつくれるならば、もちろんそれに賛成しますが、現状では難しい。米国人の合理性と英国人の慎重さと、そして日本人の辛抱強さを兼ね備えたような人を500人ほど集めて、政治家など外部からの圧力を受けても揺るがないような組織が作れるのならば、それがベストですが、そのような"理想郷"はありません。
■自由な議論ができる組織に期待
―舛添要一厚労相が厚労省の技官人事を見直す方針を打ち出しました。
医師免許・薬剤師免許を持っている技官(医系技官・薬系技官)は、「自分たちの職能・職域は何があっても保障されている」と考える傾向があり、それに伴う特殊な行動様式があるように思います。現在、技官の問題を厚生行政の重要な問題と大臣が考えているようです。
「患者を診た経験があまりない」「医薬品開発の現場を知らない」という技官も多く、何年も厚労省の中にいると腕が鈍ってしまって、現場に戻りにくい。そのような中で、現場や社会の実情に即していない政策や判断が生まれることもあります。「では、技官が悪い人たちなのか」と問われれば、「そんなことはない。世の中すべての人と同じ」でしょう。終身雇用の中で、「行政官」という立場に置かれたら、「世の中の誰でもきっとそうするだろうな」という行動を予想通りしているという感じでしょうか。
―安全対策に当たる担当者を現在の66人から300人程度に増やすようですが、「人を増やせばいい」ということではなさそうですね。
「ハコ」をつくって、そこに300人放り込んで、それできちんと安全対策ができるのでしょうか。「こうしなさい」ということを紙に書いて300人に読ませて薬害が防げるなら、こんなに楽なことはありません。医薬品の安全対策を担う職員が、国民の健康を考えて働けるような「機能」を考える必要があります。つまり、最初に「ハコ」ありきではなく、専門家集団が自由に議論できるような「機能」を考えるべきなのです。
―薬害を起こした公務員型の組織ではなく、現在の総合機構を強化すべきという意見ですね。
現在の総合機構には、周囲から「こうしろ」と言われても、報告書には自分の正しいと思うことを書いて返すような反骨精神のある人もいます。専門的な知識のある人が中途採用されることも多く、専門性の集積が少しずつ進んでいます。国会対応している役人とは異なり、「科学的な審査をして、見つけたことをきちんと書く」という文化が徐々に形成されています。薬害の再発を防止するため、自由な議論ができる組織に期待したいと考えています。
引用:CBニュース
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